時計GUY取材ノオト スコット・ケアリーの行く道


そこに持ち込むのか、そこから生み出すのか。それは永遠の命題かもしれない。

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私の名前はホーンテッド時計GUY。世間で言うところのゆるキャラだ。

冒頭から私事で恐縮だが、私は単独で存在しているわけではなく、何らかの生物に憑依することで初めて、こうして妖怪記者としての活動を行うことができる。

では憑依対象はどんな生物であっても良いのかといえばそういうわけでもない。大抵は人間を選ぶ。以前水溜りに潜むクマムシに憑依したときの孤独と不安感、そして動きの緩慢さへの苛立ち度合いといったら正に筆舌に尽くし難かったし、そもそもこの呑気な緩歩動物の大きさでは取材活動ができない。

そして憑依すると、クマムシやラッパムシといった類の生き物はともかく、人間ならばたいてい対象者の記憶が私の中に流れ込んでくる。
結果、ともすれば憑依者が悩み続けている問題をも共有する羽目になることも少なくない。

今回は、現在憑依している人間が抱える、とある小説の結末をめぐる悩みから話を始めさせて頂く。

著者の名はリチャード・マシスン。その小説の題名を『縮みゆく男』と言う。

とあるきっかけで体が縮み続ける羽目になった男の生き様を描いた有名な作品だが、どうも憑依者は幼い頃に読んだきり、結末の記憶が曖昧なまま、確かめもせずにいるようだ。

主人公は縮みゆくサイズに合わせて襲い来るバラエティ豊かな危機を切り抜け、ついに翌日には自分が極限まで縮み消えてなくなるという晩、眠りにつく。

話はここで終わっている、と、本作を読んだ憑依者の知人は言う。

しかし、憑依者が記憶する結末は、これとは大きく異なっていた。

自分が幼い頃に読んだ『縮みゆく男』は、恐らく児童向けに内容が若干変えられていたのではないか。そう考えているらしい。

この憑依者が記憶している物語の結末はひとまず措くとして、最期の晩に眠りにつく主人公の心を満たしていたものだけは、どうやら知人のそれと共通しているらしい。

それは、大きな満足感だ。

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2016年6月9日木曜日。

私はこの日、小樽市JR小樽築港駅に隣接する大規模商業施設『ウイングベイ小樽』にお邪魔した。

本施設は、大規模ショッピングセンター『マイカル小樽』として1999年に生まれ、紆余曲折を経て『ウイングベイ小樽』として営業している。

私がこちらを訪ねたのには幾つかの目的があったが、最大の理由は、この施設の文化発信の仕方が大変に特徴的であり、個人的に心惹かれたことにあった。

 

施設内には、場所によっては空きテナントがそこかしこに点在している。

しかし、本施設管理会社の営業企画課チーフ 佐々木朝英さんの考えは、そこをがむしゃらに『店舗で埋める』という発想とは一味違っている。

「むしろ、これを『空間』として見たら、色々活用できるんじゃないかと思うんです」

例えば、空きテナントを利用してコスプレイヤーたちの撮影イベントを行う。店の造作を残している場所、調理機材がそっくりなくなり、むき出しのコンクリートに囲まれたうつろな空間と化した厨房。照明によって照らし出されるそれらは、むしろ他にはない多様な異空間として機能する。

そして、かつて別企業が参入していた際に作られた劇場も、時に佐々木さんがオーガナイザーとなって牽引することによって、地元に根ざした利用者と企画、そして何よりも自由な発想で活用されている。
この辺りは私の記した記事『時計GUY、市民劇場 ヲタル座に行く』に詳しい。ご興味のある方は参照されたい。

中には空いている空間で『老人のサロン的な場を作りたい』など、様々なアイディアの提案があったりもするという。休憩所に集まる老人。その場自体を、公然のサロンに変えてしまおう、という発想だ。なんとなく休みに寄っていた場所が、あるとき集まるべき『場』に変わる。これはちょっとした事件だ。このサロンは実現しなかったが、こういった発想は次々に出てくる。

「ここにくれば、とにかく何か面白そうなことをやっている。そういう場になればと思うんです」

そして、佐々木さんもまた、ご自身の管理されているこの『空間』の演出家であり、企画者でもある。

「この間は、空きテナントを使って、司法書士の無料相談会を催してみたんです」

たまたま自分もお世話になる機会があって、知っておいたらあとあと便利かな、と思って。そんな意図から始まった企画は、好評を博したという。むしろ小樽市内ではなく、隣町の札幌市からふらりとやってきた老夫婦が相談に訪れる。そんな姿も見られたそうだ。

「札幌からもお客さんが結構来ます。特に今の時期は、札幌はあずましくない(居心地が悪い)という方が比較的多いですね」

今の時期、というのはYOSAKOIソーラン開催時。かのイベントの意外な波及効果、といったところだろうか。とまあ、これは余録。

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『他の自治体の具体的な成功例を挙げる』。町おこしの企画プレゼンテーション時冒頭の、もはや枕詞と言ってよいくらいの定番の手法だろう。

ゆえに、この具体例にある枠組みを、対象となる地域に即した形に翻訳する。

こういった発想で、いかに多くの私のようなゆるキャラが、もしくは『ご当地ヒーロー』が生み出されてきたことか。無論、彼ら、否、私達に罪は全く無いのだが。

 

私は未だ生まれて日が浅いにせよ、曲がりなりにも様々な市町村で取材をさせていただいている。

その過程で出会った様々な文化の中には、その歴史の新旧に関わらず自然に地元で愛され、またその地を訪れた人々にも愛されているものが確実に存在する。

それら『自然に愛されている文化』たちには、ひとつの共通点があるように思う。

そしてそれこそが、『縮み行く男』が最期の夜に感じた、あの大きな満足感と同じものなのではないかと考えた。

「俺は生き抜いた」

縮み行く男のこの幸福は、自らの運命を嘆くことから一転し、その体質を受け容れることによってはじめて得られたものなのだ。

受容。

状況を受け止め、そこから何ができるのか。その姿勢からこそ無二の魅力と独自性とが生まれる。それが、愛される文化に見られるひとつの共通点なのかもしれない。

 

憑依者が記憶している、恐らくは児童向けに翻案されたであろう『縮み行く男』の結末はこうだ。

翌日にはさらに縮小して消失する運命にある夜、最後まで生き抜いたことに満足し、眠りについた主人公スコット・ケアリーは翌朝目を覚ます。

そこには、今まで自分が生きていた世界とは全く異なる世界への入り口がある。

元いた世界で極限まで縮んだ彼は、消えるのではなく、代わりに自分の生きていた次元とは異なる世界に足を踏み入れたのだ。かくして主人公は、その世界に向け一歩足を踏み出す。

 

受容の先には、広大無辺の世界が広がっている。

 

ホーンテッド時計GUY