不定期連載『訊くくつした』第2回

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言いにくい題名の不定期連載。今回は札幌在住の役者さんに、思うさま訊きます。

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頭では理解したつもりでも,どうも感覚がついて来ない。

そういうことって,ありませんか。

当方,たくさんあります。

何かこう,あと一歩で真実に届かないような,毛並みもふもふのうんと可愛い動物をビニール袋越しに愛でるような,もどかしい気持ちになります。

ことさら当方が長いことむずむずしているのが,GIDという概念です。

肉体的な性、つまり生物学的な性別と心の性、つまり自分の性の意識とにずれがあり、さらにその違和感が一時的なものではなく、かつ生活に支障をきたすような状態にあること。

うん。なるほど。確かに。

持続的かつそれがQOLを低下させる要因となる。しごくまっとうな条件でございますね。

しかしどうも、『生物学的性別と性の自己意識とのずれ』というもの、こちらにどうしても実感が伴わない。

できればこの『ずれ』を、もう少し感覚的に理解できないだろうか。

常々そう考えておりましたが、いよいよその第一歩を踏み出してみようと思います。

今回お話を伺いますのは,小林健輔さん。札幌の老舗アマチュア劇団『怪獣無法地帯』に所属する役者さんです。

 

 

小林さんはFtM、つまり生物学的には女性で、ご自身の心が男性である(あるいは男性に近い)という方でいらっしゃいます。

色々な選択肢がありますが、小林さんは体を心の性に近づける方法を選び、現在も役者さんとして活躍されています。
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みんな我慢して履いてたんじゃないの?

 

心と身体の齟齬が生み出す『違和感』の具体的な姿を知るために、まずは小林さんの抱いていた『違和感』の歴史について伺ってみることにいたしましょう。

「最初に感じたのは、小学校に入る前、5・6歳くらいでしたね。とにかくスカートを履くのが嫌でした」

それはまた、どうして?

「その時は小さかったんで、理由とかは分からなくて。ただ、女の子っぽいフリフリしたデザインがただ生理的に嫌、という嫌悪感がありました」

自身の体の性と心の性とのずれ、という意識は無かったわけですね。

「むしろ、本当は(女の子)みんな我慢してるんだと思ってました。本当は嫌なんだけど、仕方なく履いてるんだと思ってました」

あ。これは経験上何となく分かります。このくらいの年齢の頃は、まだ自分の体についても十分に認識していないので、周りとの違いや共通点についてはあまり意識が回らなかった思い出があります。

 

このような『とにかく嫌』という意識のまま小学校・中学校を経て、初めてご自身と周りとの違いをはっきりと感じたのは、高校生になってしばらく経ったある日のことだとおっしゃいます。

「同級生の女の子が結婚を扱った雑誌を開いて、『ウエディングドレスいいよね』『着たいよね』とか盛り上がっているのを見て、『そんな人、いるんだ!』と思いました。そういう立場になることへの嫌悪感もありましたし、ドレスのデザインも嫌でした」

自分はどうやら他の女性と違うらしい。はっきりとそう感じた瞬間だそうです。

ドレスのデザイン、というところから一歩進んで『男性と結ばれる』ということへの違和感が自覚されたわけですね。

「自分は(彼女たちとは)違う人種なんだ、と自覚しましたね」

 

 

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役を演じる前に強いられていた『演技』

 

この意識が、さらに『体と心の性のずれ』という自覚へとたどり着いたのは、社会に出てから。そしてその直接のきっかけは、お芝居だったそうです。

「その時やっていた芝居というのが、主人公が少女マンガ家で、自分はその主人公が描く漫画のヒロイン、という役どころだったんです」

ということは、もうコテコテのステレオタイプな女の子!

「稽古のときに自信が無さそうに演じたんで、(演出に)怒られてました。あるとき、代役を立てて稽古することになって、男の役を臨時でやることになったんですけど、こっちの方は自信を持って演じることができたんです」

その時に、一緒に稽古をしていたメンバーに言われた言葉が決定的だった。そう、小林さんはおっしゃいます。

「『貴方は中身が男なんだね』。そう言われて、それまでの全てがつながりました」

その言葉を聞いて、自分がヒロインを演じることができなかった理由もはっきり分かったのだそうです。

「役を演じる前に『女の子を演じなきゃ』というところでもう一杯一杯になっていたんです。だから、そこに役を乗せることができなかった」

あ。このあたり、前回お話を伺った趣味の女装家である岡本さんのおっしゃっていたことと、どこか通じるところがあるような気がいたします。

岡本さんは、こんなことをおっしゃっておりました。

「私にとって女装は、女子というキャラクターのコスプレなんです」

岡本さんは女装家ですが、男性として女性に惹かれるセクシュアリティの持ち主です。そんな岡本さんにとっての女装とは何か、という問いへの答えが、この言葉でした。

コスプレは、対象となるキャラクターの外見だけでなく、仕草や立ち振る舞いといったものまでを再現するもの。

つまり女装さんは女性という性別を、その内面まで観察・分析して、再現しようとするわけです。

このことによって、逆に、むしろ自分が普段『男性』という性別として生活している時、社会的にどういう役割にあるのかが良く分かるようになった、と岡本さんはおっしゃいました。例えば、こんなように。

「同じ女装仲間同士で食事に行っても、どっちも女装だったら割り勘になるんですが、どちらかだけが女装している場合には、女装していないほうが食事をおごるんです」

『男性』という戻るべき本来の性別を持った上で、女性を演じることで自身の性役割を再認識する趣味の女装。

お芝居の中で一度『男性』を演じることで、はっきりと自身の性のずれを自覚されるに至った小林さん。

アプローチの仕方は大きく異なりますが、『性別を意識して演じてみることで自身の性を知る』という点は共通しているように感じられます。

 

「実は、芝居をやって女の人の役を演じていれば、そのうちに『女の人』になれるんじゃないか。そう思っていたところがあったんです」

しかし結果として、逆に自身の心と体の性のずれに気づくきっかけとなったわけなのですね。

 

 

 

「今から思えば、普段も常に演技している感じでしたね。とにかく、女性として見られたり、扱われるのが辛かった」

先ほどの女装子さんの文脈からすれば、脱ぐことのできない『女性の肉体』という服を着た状態で、常に女性を演じ続けることと強いられてきた、とも言えましょうか。

「当然、普段は女の友達とつるんでいるんですけど、例えば周りが読んでいる漫画の趣味が全然合わない」

といったような趣味の違いだけでなく、『演じている』性別と心とのずれは様々なところで現れました。

「自分は前から『~っすよね』というような口調だったんですが、しゃべり方一つでも周りから変な目で見られました。バイトの後にみんなでカラオケに行ったとき、自分はごく自然に『リンダリンダ』とかを歌うんです。その次の日バイトに行ったら、『昨日あいつリンダリンダ歌ってたよね』と笑われたりする」

…などと笑い話のように軽妙にお話してくださいましたが、こういった大小さまざまなずれは、ご本人の心にも大きな歪みを生み出すこととなりました。

「女性として見られるのが嫌だったから、自分を女性として扱う相手の言葉に嫌そうに反応してしまうんです。そうやって、自分の性格が嫌になっていくような、嫌なやつになったような気持ちになりました」

そんな折、小林さんは友人からGIDについての情報を得ます。

「まだGIDが一般的じゃなかったので全然知らなかったんですが、『病院に行ったら調べてもらえるんだ!』と思って、病院に通うようになりました」

かくして通院を始めた小林さんは、体を自身の心が自覚している性別に近づけるという方法論をはじめて知ったのだとおっしゃいます。

「そんな道があるんだ。と思いました」

こうして小林さんは、体と心のずれを埋めるべく、新たな道に進まれたのですね。

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実は当方、ここで小林さんに謝らなくてはいけないことがあるんです。

小林さんが正に心と体の性のずれを自覚されたこの頃、そうとは知らずに当方が企画台本演出した芝居『魔法の少女ミルキーディップ』に出演いただいていたのです。

こちらのお芝居、80年代にTV放映されていた幻の実写特撮魔法少女ドラマの30年後を描く、というものでして、小林さんにお願いしたのは30年前、つまり当時の魔法少女役。お芝居にさしはさまれるドラマのオープニングや架空のタイアップCMといった『当時の映像』のみの出演だったのですが、さぞお辛かったかとお察しします…。

「あはは。正直、辛かったすね」

 

 

 

 

『自分はどこにいると思いますか?』

小林健輔さんには、現在くつした企画が製作中の長編映画『幼きカミの似姿』にご出演いただいております。

辛い心を抱えてお芝居を続けられていた頃、そしてその問題を乗り越えた先で再び舞台で活躍されている今。

2つの時代の小林さんとご一緒させていただいているわけですが、そもそも再びお芝居の世界に戻られたきっかけって、なんだったのでしょうか?

「しばらく芝居から離れてたんですが、あるときとある劇団から声が掛かったんです。それがちょうど男の子の役だったんで、それだけは受けたんですよね」

大きな決断をしたことは伏せ、かつての名前ではなく『小林健輔』でクレジットしてもらっての出演。これがきっかけでかつての芝居仲間と再会、現在に至ります。

 

「全然違いますね。ストレスが全然ないです。100パーセント自分自身として話せます」

ずれを乗り越えた後の日常生活を、小林さんはこうおっしゃいます。お芝居への取り組みも、やはり変わりましたか?

「(役作りが)自分からスタートできるのが何よりいいですね。そしてその(芝居の)結果を見て、要求される役も代わってくるんです」

暗い過去を抱え、犯罪の共犯者となった男。いなせなべらんめえ口調の船頭。そして、おっちょこちょいの新米AD。再び舞台に戻った健輔さんの演技には、どこか軽妙な味があります。『100パーセントの自分』というしっかりとした基盤。その役を組み上げていくことの余裕の表れかもしれませんね。

そんな余裕を感じさせるとある言葉が、当方に強く響きました。

「自分はたまたま男でいたほうが生きやすい。ってことだと思います」

と、申しますと?

「病院で先生が、紙に『男』『女』」と少し横に離して書いて、その間に線を引いたんです。そして『自分はどこにいると思いますか』と聞いたんです」

男と女を結ぶ線、ですか。

「自分は、真ん中よりもちょっと男寄りの所を指差したんですよね。そうしたら先生が『そこと『男』の距離はなんだと思いますか』と尋ねました。自分は『これまで女として生きてきた分かな』と答えました。自分は『男寄りの中性』だと思ってます。だから、どちらかというと男でいたほうが生きやすい」

 

ああ! 当方、これを聞いて急に視野が開けました。

恥ずかしながら当方は今まで、『心と体の性のずれ』をかなりデジタルに考えていたようです。つまり、体と心の関係は『正』と『逆』の2つしかない、と何となくイメージしていたのです。

しかし、そうではない。

心が意識する性別は、男性と女性の2つだけなのではなく、『男性』と『女性』の2つを結ぶ線の間に無限に存在するものだ。

札幌の地下鉄南北線で申さば、降りることのできるのは『真駒内』と『麻生』だけではなく、間にいくらでも駅がある、ということですね。

つまり心が自覚する性別には幾通りものバリエーションがあるので、心と体のずれが生じた場合には、対処の仕方もまた、幾通りも存在することになります。

例えるならば、視力。

眼鏡が必要な人、その中でも遠視用レンズが必要な人、右だけ乱視用レンズが欲しい人、あるいは読書のときだけ眼鏡をかける人…などなど、それぞれ対処の仕方が異なる。これに近いでしょうか。

そういえば、当方の知人のMtF(生物学的に男性だけれども女性としての性の自己認識がある人)は、体に手は加えず、女装することで社会生活を営んでおります。

これもまた、個人に合わせた対処の仕方の一つなのでしょう。

 

 

もっと極端に申さば、性別とは、個人が持つ様々な要素のバランスによって出来上がるものであり、『人の数だけ性別が存在する』と言えるのかもしれません。

つまり『ずれ』は、起こるか起こらないかという二元論的なものではなく、程度の差こそあれ誰もが抱いているものであるとも考えられます。

うん。自分の中にある小さな性の『ずれ』を考えていくと、GIDは決して自分と不連続なものではない、という捉え方ができますね。

 

 

 

B’zのチケット並みの競争率

ぱあっと霧が晴れたような気持ちになったところで、ちょっと気になることについてお尋ねしたいと思います。

札幌って、GIDクリニックはどのくらいあるんでしょう?

「GIDクリニックとして開設しているところは1つだけだと思います」

それはその、利用される方がそんなにいらっしゃらないということなんでしょうか。

「いや、B’zのチケット並みに予約が取れません」

ええ! それって、結構深刻なんじゃありませんか?

「先生の考えもあるみたいです。色々と考えて、本当に悩んでいる人だけに来て欲しい、という。実際、ホルモン治療を始めてからやはり違った、ということもあるみたいですし」

確かに、そういう難しさもありますね。

そういえば以前、ちょっとロックな高校生に『自分はゲイだ』と相談を持ちかけられた方のお話を聞いたことがあります。

結局何回かのやり取りの後、件の高校生は相談をよこさなくなったそうですが、こういったことはしばしばあるのだ、と教えてくれた後、その方はこう言いました。

「憧れが思い込みに繋がることって結構あるもんなのよ」

…必要なのは、自分としっかり向き合う時間と方法なのかもしれません。

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さて。『心と体のずれ』は、実は決して全か無かのデジタルな概念ではないのだ、ということが分かり、当方、少しだけ自分の心身に重ねて感覚として考えられるようになってまいりました。

このあたりを更に探りつつ、もう一つの側面『社会における性』というあたりにも迫ってまいるべく、インタビューを続けてまいりますよ!